教室内(スクール)カースト (光文社新書)本ダウンロード無料pdf
教室内(スクール)カースト (光文社新書)
strong>本, 鈴木 翔
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によって 鈴木 翔
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出版社からのコメント ◆「なぜ、あのグループは“上"で、 このグループは“下"なのか……」 生徒たちの生の声、先生の本音……気鋭の教育社会学者が、 教室を支配する「地位の差」に肉迫! 「なぜ、あのグループは教室を牛耳っていて、 このグループには“はしゃぐ権利"すら与えられていないのか……」。 「スクールカースト」とは、主に中学・高校のクラス内で発生する ヒエラルキーのことで、小学校からその萌芽は見られる。 同学年の子どもたちが、集団の中で、お互いがお互いを値踏みし、 ランク付けしていることは、以前から指摘されており、 いじめや不登校の原因となるとも言われてきた。 ステイタスの決定要因としては、人気やモテ度、運動神経などがあり、 上位から、「1軍・2軍・3軍」「イケメン・フツメン・キモメン」などと 呼ばれるグループに分断され、グループ間交流はほぼ行なわれなくなる。 スクールカーストは、いじめの温床となるだけでなく、どんな生徒にとっても、 クラス内での居心地の悪さや、学校で自己を発揮するのを阻害する要因となる。 本書では、これまでのいじめ研究を参照しながら、 新たに学生や教師へのインタビュー調査を実施。 教室の実態や生徒・教師の本音を生々しく聞き出している。 生徒には「権力」の構造として映るランク付けが、 教師にとっては別の様相に見えていることも明らかに……。 また、中学生への大規模アンケート調査結果もふまえながら、 今後の日本の学校教育のあり方に示唆を与える。 解説・本田由紀。 【目次】 はじめに 第1章 「スクールカースト」とは何か? 第2章 なぜ今、「スクールカースト」なのか? 第3章 「スクールカースト」の世界 第4章 「スクールカースト」の戦略 第5章 教師にとっての「スクールカースト」 第6章 まとめと、これからのこと あとがき 解説/本田由紀 【著者プロフィール】 鈴木翔(すずきしょう) 1984年、秋田県生まれ。群馬大学教育学部卒業。 現在、東京大学大学院教育学研究科博士課程。 東京大学社会科学研究所学術支援専門職員。専門は教育社会学。 主な研究テーマは中高生の交友関係。主著に「恋人の有無が中学生の意識に与える影響」 (共著、『東京大学大学院教育学研究科紀要』第51巻)がある。 本田由紀(ほんだゆき) 1964年、徳島県生まれ、香川県育ち。社会学者。 東京大学大学院教育学研究科教授。 著書に『若者と仕事』(東京大学出版会)、 『多元化する「能力」と日本社会』(NTT出版、第6回大佛次郎論壇賞奨励賞受賞)、 『「ニート」って言うな! 』『希望難民ご一行様』(ともに共著、光文社新書)、 『教育の職業的意義』(ちくま新書)など多数。 内容(「BOOK」データベースより) スクールカーストとは、主に中学・高校のクラス内で発生するヒエラルキーのことで、小学校からその萌芽はみられる。同学年の子どもたちが、集団の中で、お互いがお互いを値踏みし、ランク付けしていることは以前から指摘されており、いじめや不登校の原因となるとも言われてきた。本書では、これまでのいじめ研究を参照しながら、新たに学生や教師へのインタビュー調査を実施。教室の実態や生徒・教師の本音を生々しく聞き出している。生徒には「権力」の構造として映るランク付けが、教師にとっては別の様相に見えていることも明らかに…。本書ではまた、中学生への大規模アンケート調査結果もふまえながら、今後の日本の学校教育のあり方に示唆を与える。 商品の説明をすべて表示する
以下は、教室内(スクール)カースト (光文社新書)に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
「学校へ行かない」選択を受け入れた保護者です。この本を読んで娘が今まで戦ってきた見えない物の正体が解ってきました。いじめ?と言い切れない教室の居場所の無さ。心を病んでしまうほどの辛さ。鈴木先生を知るきっかけは、地方紙の「いじめ」の特集でした。「いじめ」かどうかばかりをきにしていたら、当たり前のことも見えなくなってしまう。その通りだと、思った。今まで、そのように、言ってくれる人はいなかった。娘が学校に違和感を覚えたのは小学3年の頃です。それまでは授業中もよく発言する積極的な子供でした。クラスでは中心的ではありませんが休み時間も友達と体育館で遊ぶ普通の子供でした。だだ、忘れ物の常習でした。3年時の担任はそんな娘にクドクドと叱る先生でした。教室内のたくさんの児童の前で怒鳴ることもあったようです。それまで、自信に満ちていたはずの娘はその年の自己評価はとても低くなりました。叱られまいと、必死でした。おかしげな・不適切な行動もとるようなことも出てくるようになりました。それからです。クラスメイトからみくだされ始めたように思います。それでも友達はいました。その、担任の先生は6年生の時も受け持ってもらいました。やはり、度々叱られます。名前を呼ばれる時も「おい、〇〇」と投げやりな対応でした。もう、元気も友達もなくなりました。休み時間は読書をするしかありません。担任に相談したところ「読書が好きなお子さんかと思ってました。」と言われました。3年生の時も担任しているはずなのに娘のことを何も解っておらず、悲しい気持ちになりました。冬休み明けから朝、起きられなくなりました。毎朝、「なぜ、学校へ行かなくてはいけないのか」と言うようになりました。私は、一般的な答えしか返す事ができませんでした。中学は心機一転と思いましたが、もう、人間不信にもなっていたように思います。大半が同じ小学校からの持ち上がりなので新しい友達ができても、おかしげなうわさが広がりクスクスと笑われたり、グループ決めの際はお友達に度々、上手にお断りをされるようになってしまいました。異物が自然に排除される気持ちでした。修学旅行も辛かったようで、「今後、学校へは行きません。」と言い出しました。娘はフリースクールを選びました。その選択は間違っていなかったと思います。娘はかつての明るさを取り戻しました。いじめは無くならないと言い切ってしまうといじめを肯定してしまう気持ちになってしまう。問題は、学校での存在感と居場所。どんな個性でも尊重しあえる世の中。学校で教えていかなくてはならないのは、勉強より先に気持ち良く教室で勉強できる環境なのではないかとおもいました。それが社会全体につながるとおもいます。スクールカーストを研究してくださりありがとうございました。この仕組みが更に解明されることを期待しています。
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